センスは才能ではない|『センスは知識からはじまる』から考える判断力の育て方

この記事は本の内容を網羅的に要約するものではありません。
読んだ内容を、仕事や実践にどう接続できるかを考える読書ノートです。

「センスがある人」という言葉があります。

服のセンスがいい。
説明のセンスがある。
企画のセンスがある。
人を見るセンスがある。

このように、私たちは日常的に「センス」という言葉を使っています。

けれど、改めて考えてみると、センスとは何なのでしょうか。

生まれつきの才能なのか。
経験を積めば自然に身につくものなのか。
それとも、後から育てることができるものなのか。

水野学さんの『センスは知識からはじまる』は、この曖昧な「センス」という言葉を、仕事に接続しやすい形で捉え直してくれる本です。

私がこの本を読みながら考えたかったのは、「センスがある/ない」という言葉で片づけてきたものを、もう少し仕事の中で扱える形にできないか、ということでした。

センスは、本当に生まれつきのものなのか。
それとも、知識や経験を通して育てられるものなのか。

この記事では、本書の1章から3章を手がかりに、センスを「才能」ではなく「判断力」として読み直してみます。

目次

センスは「なんとなく」ではない

センスという言葉は、どこか曖昧です。

売上や点数のように数字で測れるものではありません。
服装のよさ、企画のよさ、説明のわかりやすさ、職場の雰囲気、商品の見え方。こうしたものは、完全に数値化することが難しい。

だからこそ、センスは「なんとなくの感覚」や「生まれつきの才能」のように見えやすいのだと思います。

しかし本書では、センスを単なる感覚ではなく、数値化できない事象を最適化する力として捉えています。

これはとても仕事に接続しやすい見方です。

たとえば、資料を作るとき。
情報が正確であることは大切です。けれど、正確な情報をただ並べただけでは、相手に伝わる資料にはなりません。

どの順番で見せるか。
どこを強調するか。
どの言葉なら相手が理解しやすいか。
どの情報は削った方がよいか。

こうした判断は、単純な正解・不正解では測れません。
けれど、仕事の成果には大きく関わります。

センスとは、そうした「数字だけでは測れない判断」を支える力なのだと思います。

「普通を知る」ことが判断の基準になる

本書の1章で特に重要なのは、センスを磨くにはまず「普通を知ること」が必要だという点です。

ここでいう普通は、平凡や無難という意味ではありません。

むしろ、普通とは基準です。

何が一般的なのか。
何が自然なのか。
何がわかりやすいのか。
何が違和感を生むのか。

その基準があるからこそ、「普通より少し良い」「かなり良い」「あえて外している」と判断できます。

これは、どの仕事にも当てはまると思います。

理学療法士として考えるなら、動作を見るときにも「普通」の基準が必要です。
歩き方、立ち上がり方、関節の動き、筋力、痛みの出方、生活動作。その基準がなければ、何がズレているのかを見つけることはできません。

もちろん、ここでいう普通は「全員が同じであるべき」という意味ではありません。
むしろ、普通を知っているからこそ、その人らしい違いも見えてくる。

他の仕事でも同じです。

営業なら、一般的な顧客の反応を知っているからこそ、目の前の顧客の違和感に気づける。
教育なら、多くの人がつまずきやすいポイントを知っているからこそ、その人に合わせた説明ができる。
管理職なら、日頃の行動やチームの状態を見ているからこそ、小さな変化に気づける。

センスは、ただ個性的であることではない。
まず基準を持つことから始まる。

この視点は、かなり大事だと思います。

どんな仕事にもセンスは関係している

センスというと、デザイナーやクリエイターの話だと思われがちです。

けれど本書では、センスは特定の職種だけに必要なものではなく、どんな仕事にも関わるものとして扱われています。

これはReading into Practiceとしても、かなり重要なポイントです。

仕事には、必ずアウトプットがあります。

資料を作る。
説明する。
商品を並べる。
空間を整える。
サービスを設計する。
人に何かを伝える。

そのとき、内容が正しいだけでは不十分な場面があります。

見やすいか。
伝わりやすいか。
相手にとって受け取りやすいか。
その場に合っているか。
目的に対して過不足がないか。

こうした判断に、センスが関わります。

だからセンスは、単なるおしゃれの話ではありません。
仕事の中で、何を選び、何を削り、どう見せ、どう届けるかという判断に関係しています。

センスは知識から始まる

3章では、いよいよ本書の中心的な主張が出てきます。

センスは知識から始まる。

これは、「知識をたくさん覚えれば自動的にセンスがよくなる」という意味ではないと思います。

大事なのは、知識が判断の材料になるということです。

知らないものは、比べられません。
比べられないものは、選べません。
選べないものは、最適化できません。

たとえば、文章を書くとき。
いろいろな文章の型を知っている人は、目的に合わせて書き方を変えられます。

説明する文章。
考えさせる文章。
行動を促す文章。
静かに余韻を残す文章。

こうした違いを知らなければ、毎回同じ書き方しかできません。

臨床でも同じです。

症状、身体機能、生活背景、心理状態、過去の経験。
知識が多いほど、目の前の現象を一つの見方だけで決めつけずに済みます。

「これは筋力の問題かもしれない」
「いや、動作の習慣かもしれない」
「痛みへの不安が動きを変えているのかもしれない」
「生活環境の影響もあるかもしれない」

このように、複数の可能性を持てることが、判断の幅になります。

センスとは、知識を使って目の前の状況を読む力なのだと思います。

ひらめきは、知識の掛け合わせから生まれる

センスのある人は、突然よいアイデアを思いつくように見えます。

でも本書を読むと、ひらめきは何もないところから降ってくるものではなく、過去に蓄積された知識の組み合わせから生まれるものだと考えられます。

これは、仕事をしていると実感しやすい部分です。

よい企画を出せる人は、ただ発想が自由なのではなく、過去の事例をたくさん知っている。
説明がうまい人は、言葉の選び方や相手の反応をたくさん見ている。
評価が速い人は、多くの症例やパターンを見ている。

つまり、外から見ると「勘がいい」ように見える判断の内側には、知識や経験の蓄積がある。

もちろん、知識だけで十分とは言えません。
けれど、知識がなければ、そもそも掛け合わせる材料がありません。

センスを育てるとは、ひらめきを待つことではなく、ひらめきが起こりやすい土台をつくることなのかもしれません。

PTとして読む「評価のセンス」

私は理学療法士として、この本を読みました。

臨床では、「評価のセンスがある人」「動作を見る目がある人」「説明がうまい人」がいます。

そういう人を見ると、つい「才能がある」と言いたくなります。

でも本書の視点で見ると、それは才能だけでは説明できません。

評価が速い人は、見るべきポイントを知っている。
動作を見る目がある人は、正常と異常の幅を知っている。
説明がうまい人は、相手がどこでつまずくかを知っている。
治療選択が的確な人は、複数の選択肢とその限界を知っている。

つまり、センスのように見えるものの背景には、知識の蓄積と、それを使う経験があります。

これは、PTだけの話ではありません。

どの仕事でも、「できる人」は単に感覚が鋭いのではなく、見えている情報量が違うのだと思います。

同じ場面を見ていても、気づいていることが違う。
同じ情報を聞いていても、結びつけている知識が違う。
同じ経験をしていても、そこから取り出している意味が違う。

その差が、センスとして現れるのではないでしょうか。

センスは才能ではなく、育てる余地のあるもの

この本を読むと、センスという言葉への見方が少し変わります。

センスは、特別な人だけのものではない。
センスは、ただの好みでもない。
センスは、知識と基準にもとづく判断力として育てることができる。

もちろん、すべての人が同じようにセンスを発揮できるわけではないと思います。
得意不得意もありますし、興味の方向も違います。

それでも、「自分にはセンスがない」と決めつける必要はない。

自分の仕事における普通を知る。
良いものと悪いものを比べる。
判断の材料になる知識を増やす。
過去の事例を集める。
主観だけでなく、客観的な情報も見る。

そうした積み重ねによって、センスは少しずつ育つのだと思います。

別の仕事ならどう読み替えられるか

私は理学療法士として、この本を「評価のセンス」や「動作を見る目」と接続して読みました。

しかし、これは医療職だけの話ではありません。

営業なら、顧客の反応を読むセンス。
教育なら、相手がどこでつまずくかを見抜くセンス。
管理職なら、チームや人の変化に気づくセンス。
個人事業主なら、サービスをどう見せ、どう伝えるかを考えるセンス。

どの仕事にも、数字だけでは判断しにくい場面があります。

正しい情報を持っているだけでは足りない。
その場に合っているか。
相手に伝わるか。
目的に対して過不足がないか。
何を選び、何を削るか。

こうした判断の積み重ねが、仕事におけるセンスとして表れるのだと思います。

本書を読むと、センスを「自分にはないもの」としてあきらめるのではなく、自分の仕事の中で少しずつ育てられるものとして捉え直せます。

この本が向いている人

『センスは知識からはじまる』は、次のような人に向いている本だと思います。

  • 自分にはセンスがないと思っている人
  • センスを才能や感覚だけの問題として捉えてきた人
  • 仕事の判断力を高めたい人
  • 説明、企画、発信、サービス設計に関わる人
  • 専門性を持ちながら、それをどう相手に届けるか考えている人

特に、「知識はあるはずなのに、仕事の判断やアウトプットにうまくつながっていない」と感じる人には、読みやすい入口になる本だと思います。

持ち帰りたい問い

この本を読む意味は、内容を覚えることだけではなく、自分の仕事の見方を少し変えてみることにあると思います。

自分の仕事に置き換えるなら、次のように問い直せるかもしれません。

  • 自分が「センス」と呼んでいるものは、どんな知識の蓄積からできているか
  • 良し悪しを判断するための比較対象を、どれだけ持っているか
  • 自分の仕事における「普通」とは何か
  • いまの仕事で、まず増やすべき知識は何か

センスは、特別な才能の名前ではなく、知識をもとに判断する力として育てられるものなのかもしれません。

そう考えると、読書もまた、センスを育てる方法の一つになります。

本を読むことは、知識を増やすことです。
しかしそれだけではなく、自分の仕事を見るための基準を増やすことでもあります。

この記事では、私が仕事や実践に接続できると感じた部分を中心に書きました。
実際に本を読むと、ここでは扱わなかった具体例や文脈から、また違った問いが立ち上がるかもしれません。

気になった方は、ぜひ本書を手に取って、自分の仕事ならどう読み替えられるかを考えてみてください。

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